2010-04-15
私が16歳の時に、八王子のロックショップ「ジプシー」というところに、いりびたっていました。
そこに、背の低いロン毛の笑顔の素敵な男性が突然店に入ってきて、私の友達のMと、めちゃ爆笑しながら、話していたのが、昨日のことのように思い出されます。
その後Mと結婚して、ま・・・・離婚したり、いろいろあったわけですが、私は、つかづ離れずの距離を保ち、会うたびに一緒に歌っていました。
次郎さんは、革命家でした♪
戦争中に、外国の方が、どれほどひどいめにあったのかという「おかされた人権」という劇をずっとやっていて、その後、沖電の組合運動をし、その後は、大地という無農薬野菜の販売店で、無農薬野菜を販売していました。
次郎さんに言われて、圏央道反対のために、立ち木を買って高尾の山を守る運動をしていましたが、その立ち木は1円で売られ、圏央道はできてしまいました・・・。
私は、彼の、革命の話を聞くのが大好きでした。
なんでか忘れたけど、二人で駅弁買ってアジェンデ政権の「サンチャゴに雨が降る」という映画を見たのも忘れられないです。
あのころ、チリのクーデターで、ビクトル・ハラが、自由のために歌い続け、スタジアムで指を1本、また1本と切られながらも歌い続けた・・・・・・みんなの自由のために・・・・・・権力と戦って・・・
60年、70年と、若者が戦って来て、心ある犠牲があり・・・
「私の死を無駄にするな」と、焼身自殺をし、自由を主張した命
忘れられない、いろんなことがあって、今があります。
そんな彼が、突然だけど、一緒に飲もうや・・・と連絡があり、八王子の高橋さん(17歳の時に、髪の毛を切らない約束をして、今だに髪の毛を切らないあたしです!!いわゆるプラトニックな永遠の恋人だけど、今さらなにかおこるわけは絶対ない人)の店に行き、次郎さんと恩だわけだけど、私は頭の中は新潟に行くことでいっぱいで、その日は、挨拶程度で、帰って来ようと思っていたんだけど
高橋さんの店に到着したら・・・・・・・
酔っ払いが、たくさんいて
なんだこれ・・・・・
そのうち、自分も飲んでいるうちに、その、酔っ払い集団にとけこんでしまって、ちょう美女のミキちゃんと仲良しになり、次郎さんとかえったのは最終電車!!!!!!!
「楽しかったね!!また飲もうね!!!!!」
次郎さんは、今は、革命家じゃなくて、キャバクラの女性たちの送迎の仕事をしていました。
それ、本当に素晴らしい仕事だと思いました。
本当に苦労をしている女性たちを守ってあげられる男性って、最高だと思います!!!!!!!!!
先日高橋さんから「次郎さんが倒れたらしいけど、こういうとき男って勇気なくて、詳しく聴けなかったから、聞いてほしい」と連絡があり
で・・・私が電話して聞いたら
次郎さんは、脳梗塞で、倒れてしまったけど、誰も気がつかず、しばらく放置してしまったので、もう、左がわの脳は、機能していない・・とのことでした。
これは長期戦になるかな・・・と思っていたのですが、入院して2日後ぐらいに、息子から電話があって
「父は亡くなりました」
「うそ・・・・・マジ?????????」
今まで一緒に歌った歌が、頭の中を流れ、悲しかったです。
次郎さんの息子は、「お葬式はできないけれど、火葬する前に、知り合いに集まってもらって、お別れをして火葬します」
絶対に行って、お見送りしたかった。その日は、どうしても仕事を休めなかったです・・・・・・・なんとしても休めなかったのです。
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